2011年6月12日(日)
bijutukan19.html
 坂本九ちゃんは「小さいもの、弱いもの」にとても優しい心の持ち主でした。後日「もしも杉崎さんの母校が大都市にある高校だったら僕は動かなかったと思うよ」と語ってくれました。
九ちゃんが来てくださることになりましたが、プロダクションの話では「往復の旅費と宿泊費は負担して欲しい」とのことでした。なんとかその経費は閉校記念の会から出してもらえそうでしたので、九ちゃんの宿舎をお願いするために、以前から存じ上げていた上山市葉山の日本の宿古窯さんに伺いました。
 僕の願いを聞いてくださった古窯の佐藤信二氏(当時社長で現会長)は、突然立ち上がって涙を流しながら「杉崎さん、私はお金はいりません。坂本九さんのお心に感動いたしました」と握手をしてくださいました。初代女将さんの佐藤幸子氏(現副会長)は、「社長が無料と申し上げましたが、私は最高のおもてなしを致します。今まで私ども古窯には、六八九コンビの永六輔様と中村八大様にはお泊りいただいていましたので、これで六八九コンビの皆様方全員からお泊りいただくことができます。どうぞご安心して私どもの古窯へおいでくださるようにと、私からも坂本九ちゃんへお手紙を書きます」とおっしゃってくだり、すぐに手紙を出してくださったとのことでした。
 佐藤幸子氏とお会いすると「杉崎さんだけです。後にも前にも原価で泊めて欲しいなどとおっしゃってこられたのは」・・・という思い出話に花が咲きます。原価で、というお願いは、もし閉校記念の会から予算がとれなかったら我が家で負担しよう、という気持ちからでた言葉でした)

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