2010年2月26日(金)
diary772.html
 恩師の太田洋愛先生から「東北で40代の男性で本気になってボタニカルアートをやろうとする人はいないので、君、本気になってみませんか」というお話をいただき、文子さんに「会社での僕の時代は終わったので、これからの人生山形の地で一緒にボタニカルアートの道を切り拓いていこう」と24年前の今日、31年間働いた会社を辞めることに決め、退職届をだしました。
 当時はボタニカルアートのマーケットはゼロの状態でしたので、まるで大海に小さな帆掛け舟での船出のようでした。自宅2階にあった僕の作業部屋に山形設備鰍フ1986年2月の帆船のカレンダーが貼ってありましたが、その帆船のカレンダーに、毎朝夕「順風に恵まれますように・・・逆風が吹きませんように・・・」と祈り続ける毎日でした。
 あの時から、今もずうっと山形設備鰍ウんの帆船カレンダーを大切に飾らせていただき、祈り続けている毎日です。写真は僕のアトリエに貼ってある今年のカレンダーです。

次の頁へ    前の頁へ   トップ頁へ